SATOSHI SODA ACHIEVEMENTS
NIPTを築き上げた経緯
NIPT
NIPTの礎に携わる
宗田医師は大学院時代ならびに米国留学中に、胎児細胞やDNAを母親の血液から検出する研究をおこなっていました。筑波大学大学院時代は、遺伝医学教室で遺伝子検出の実験や隣接する免疫学教室でFACS(蛍光活性化セルソーター (Fluorescence-activated cell sorter) の略で、細胞を1つずつ分離・選別する技術)による胎児細胞の分離研究をおこなっています。この時、宗田医師の指導にあたった当時筑波大学免疫学の中内教授は、現在スタンフォード大学教授・東京大学医科学研究所特任教授で再生医療の世界的トップランナーでもあります。また留学中のボスであるダイアナ・ビアンキ教授はNIPTの実質的な開発者であり、現在はNIHの母子保健領域のトップでもあります。

米国臨床遺伝・ゲノム学会の数少ない日本人会員の1人として
アメリカのボストンに研究留学している期間は、NIPTの第一人者であるダイアナ・ビアンキ教授の研究室で、FACS(セルソーター)によって母親の血液から極わずかに含まれている胎児細胞を分離し、それが本当に胎児細胞なのか証明するためPCR法やFISH法などを用いて日々研究を続けていた。その時の成果は英語論文として発表されています。
また当時ビアンキ教授が執筆していた専門書(「Fetology(胎児学)」)の校正手伝 いなども行なっており、それが帰国後に日本語の翻訳本(「ニューイングランド周産期マニュアル」)の出版へとつながっています。
留学中に米国の遺伝専門学会である米国臨床遺伝・ゲノム学会(American College of Medical Genetics and Genomics; ACMG)に米国の推薦者2名の推薦申請によりアフィリエイト会員として受諾され現在も数少ない日本人会員の1人として所属しています。

NIPTが日本に導入される前から深く関わる
NIPTが日本に導入される前から、海外の研究者との交流により、当時アメリカで最先端技術として臨床検査をおこなっていた3大会社である、シーケノム社、ナテラ社、ラボコープ社のアメリカの研究施設視察を国内の先生方を連れて情報共有なども積極的に行なっていました。
アジアで開催されたナテラ社主催のNIPT研究会にも2度国内から参加した数名のうちの1人として2度招待されて出席しています。
日本でNIPTが導入されてからは、を導入する際、宗田医師は安全性確保のためのガイドライン策定や、遺伝カウンセリング体制の整備に出生前検査認証制度等運営委員会施設認証ワーキンググループ委員制度認証委員会の委員として深く関わりました。
