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SATOSHI SODA ACHIEVEMENTS

日本の医療へ貢献してきた歩み

HISTORY

世界での活躍

宗田聡医師は筑波大学医学専門学群を卒業後、数年の臨床経験を積んだのち、筑波大大学院で4年間の遺伝医学を専攻しました。大学院時代から「出生前診断」と「遺伝子解析」の臨床応用に情熱を注ぎ、胎児や新生児の遺伝情報を正確かつ安全に評価する研究に従事しました。特に、当時まだ分かっていなかった母親の血液の中に胎児の細胞が存在していることを証明する研究ではトップレベルでした。1996年には医学博士号を取得し、筑波大学医学部講師として教育・研究・臨床の3分野で活躍。特に若手医師や大学院生の育成には力を入れ、在籍中に多くの英語論文を国際誌に発表しました。

1999年、文部科学省在外研究員(毎年大学からは1〜3名しか選考されない難関)として米国ボストン・タフツ大学に留学。世界的に著名なダイアナ・ビアンキ教授の研究室に所属し、母親の血液から胎児DNAを検出する革新的技術の研究開発に参加。この技術は後に「新型出生前診断(NIPT)」として世界中に広がります。留学中には多くの国際学会での口頭発表を行い、海外の医療研究者とのネットワークを築きました。

さらに、タフツ大学在籍中には米国での産科施設など病院を視察し、日本ではまだ導入されていなかった遺伝カウンセリングの仕組みや産後のメンタルヘルスなどを学びました。これらは後の日本での医療活動の礎となります。

宗田 聡
宗田 聡
宗田 聡

日本国内での活動

米国留学から帰国し母校の筑波大学の産婦人科教室の講師として臨床教育研究に従事、さらに筑波大学附属病院や茨城県周産期センターでは周産期医療の最前線で後輩の指導もしながら臨床現場で活躍していました。2004年からは茨城県周産期センター長を務め、ハイリスク妊娠や緊急帝王切開など命に直結する医療の現場を率いました。茨城県の中核として、多忙な現場で、産科・小児科・麻酔科の連携強化を推進し、母児の安全と健康向上に貢献しました。当時一緒に苦楽をともにした新生児科の後輩は、現在日赤医療センター(広尾)の新生児科部長先生で、現在もセミオープンシステムの連携などで親密な関係にあります。

国際学会(米国人類遺伝学会:ASHG, 国際出生前診断学会:ISPD)にも所属し、海外の先進医療を日本に導入。特に当時から周産期メンタルヘルスの重要性を認識し、産後うつ予防のためのスクリーニングやカウンセリング体制を整備しました。これにより、EPDS(エジンバラ産後うつ病質問票)の普及や陽性率の高い母親への早期介入なども広く行われるようになり、指針となる教科書も執筆出版しています。

宗田 聡
宗田 聡

医療への貢献と、クリニックの開院

2012年、東京恵比寿駅近くに『広尾レディース』を開院。産婦人科全般の保険診療はもちろんのこと、出生前診断の専門家として、NIPTをはじめオスカー検査や羊水検査、胎児精密超音波検査なども日々対応しています。クリニックでは臨床遺伝診療と女性医療を融合させ、思春期から更年期まで幅広いライフステージに対応する医療を提供しています。

日本産婦人科医会の先天異常委員会の委員やNIPTに関わる出生前検査認証制度等運営委員会施設認証ワーキンググループ委員制度認証委員会の委員として、出生前検査の安全性と倫理性を確保した検査体制の普及に貢献しています。産科医療補償制度原因分析委員会委員として国内の産科医療の安全や未来へのより一層安心できる医療の構築に関わる仕事も担っています。

また、医療者向けの教育活動にも積極的で、全国の大学や周産期センターでバイブルとして使われている『周産期マニュアル』の監修や、産後うつをはじめとする周産期メンタルヘルスの教科書である『これからはじめる周産期メンタルヘルス』『EPDS活用ガイド』などの医学書を執筆。

さらに、多くの企業や自治体との協働により女性の健康教育プログラムを展開。女性のヘルスケアをメインとした健康経営の推進にも力を注いでいます。

宗田 聡
宗田 聡
宗田 聡

ACHIEVEMENTS

主な功績、メディア出演

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